大阪・関西万博2025の見どころとは?未来社会を体験しよう

(※2024年6月14日 更新)

関西万博まであと1年を切り、街ではじわじわと「万博、行く?」なんて会話が聞こえるようになってきましたね。でもその一方で、「結局のところ、何が見られるの?」と首をかしげる人も多いのではないでしょうか。

今回はそんなモヤモヤに応えるかたちで、2025年に開催される大阪・関西万博の見どころやテーマを、できるだけ等身大の言葉でお届けしていきたいと思います。

見えてきたのは、「ただの建築ショー」にはとどまらない、未来社会のリアルな“縮図”でした。

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自己紹介

このブログ記事はAIを使用して書いています。動画では関西万博をAIに見どころを聞いてみた、と題して、ChatGPTに関西万博の見どころを聞いてみました。今回は動画内容をご紹介しています。

動画はこちら

万国から158の回答。「未来の社会って、こういうことかもしれない」

2025年4月、夢洲で幕を開ける大阪・関西万博。そのテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。

少し抽象的にも思えるこの言葉、言い換えれば「これからの社会をどうデザインしていくべきか、私たちはどんな暮らし方を選べるのか?」という問いかけにも感じられます。

世界158の国と地域がそれぞれの考える「未来への提案」を持ち寄って、会場に立体的な“問い”を並べていく――そんな構造になっているんですね。

そして会場に足を運ぶ私たち一人ひとりが、その問いとかたちに触れながら、自分自身の未来像に少しずつ輪郭を与えていく。そんな体験の場になりそうです。

これはまさに、展示ではなく“対話”の場。その意味では、美術館でもなく遊園地でもなく、“未来とのディスカッションラウンジ”と呼んだほうがしっくりきます。

「ミャクミャク」って結局、何者? 日本らしい未来の象徴かも

次に話題にしておきたいのが、やや異なるアプローチから万博を盛り上げているキャラクター、「ミャクミャク」。

一見すると、青と赤のカラーリングにコミカルな姿が目を引きますが、その意味はかなり深く、血管や生命の“脈動”と、文化や人をつなぐ“脈絡”をかけたものなのだとか。

このキャラクターが象徴しているのは、日本が得意とする「抽象と具体」を往復するイメージづくりの巧みさだなと感じます。

つまり、「説明はできないけど、何か惹かれる」その余白の部分が、多様な人の解釈を許容しているんですね。そしてそれこそが、言葉では語り尽くせない未来や希望のようなものに近いのだとしたら、私たちが求めている“象徴”のかたちなのかもしれません。

落合陽一の“いのちのビジョン”は五感を超えてくる?

さらに注目したいのが、テクノロジーとアートの融合で知られる落合陽一さん監修の「命のパビリオン(仮称)」。

この展示では、人間だけでなく動植物からロボット、AIに至るまで、いのちのあり方を多角的な視点で体感できるような設計がなされているそうです。

そもそも「いのち」は、定義も感覚も人によって揺らぐ対象。にもかかわらず、ここではテクノロジーとアートがその曖昧さをむしろ“可能性”として捉え、感覚的に訴えかけてくるようなつくりになるというから、興味が尽きません。

具体物だけでなく、私たちの思考や感情そのものに語りかけてくる展示がある。これって実は、SX(サステナビリティ・トランスフォーメーション)の文脈とも深くつながっているように思います。

「近未来のプロトタイプ都市」としての関西万博

ここまで、展示物やキャラクター、建築の話をしてきましたが、少し視点を変えると、関西万博は「リビング・ラボ(生きた実験場)」としての側面も持っています。

顔認証での改札通過、AIアバターによる案内、スマート決済やデジタルIDの導入など、社会実装前のテクノロジーが、リアルな現場で試されるのもこの万博の特徴のひとつです。

これって、いわば「未来のまちの、限定オープン」ですよね。

現在の都市の課題――混雑、ストレス、情報の分断――に対し、どんな技術が解決に向かうのか。

答えをディスプレイに映すのではなく、来場者自身が“参加者”として歩きながら実感できる仕掛け。それがこの会場全体に仕組まれているわけです。

「食」から見る未来:寿司もラボ化していく?

また、少しユニークな視点から万博を楽しみたい方には、「食」にまつわる未来体験もおすすめです。

たとえば大手回転寿司チェーンのスシローは、今回サステナブルな寿司提供をテーマにしたブースを展開予定。

そこでは、再利用資源の活用された空間設計や、養殖魚・認証漁業のネタをフィーチャーしたメニューなど、「食べること」と「未来の暮らしの選択」が直結するような演出がなされるそうです。

食もまた、文化であり、生態系であり、経済でもある。そんな多層的な要素を体験しながら味わうことで、「おいしさ」のあり方すら見直すきっかけになるかもしれませんね。

まとめ:「行く価値ある?」の先に見えてくるもの

「本当に行くべきなの?」「工事が間に合うの?」そんな気持ちは、確かに自然な感覚だと思います。

でも、少し目を凝らすと、関西万博には“答えを探すイベント”ではなく、“問いを体験する場所”という、これまでの展示会とはちょっと異なる価値が詰まっているように感じます。

未来は、完成された製品として陳列されるものではなく、まだ答えの出ていないプロセスのかたまり。だからこそ私たちは、「自分ならどう生きていくか」を問い直す機会を必要としているのかもしれません。

その意味で、関西万博は“未来と出会う”場所というより“未来に参加する”機会。

これまでの万博のように、技術を「すごいね」と見上げるのではなく、それを「どう使いたいか」まで深く掘り下げて考えること。それができる場所として、2025年の夢洲には確かな価値が宿りそうな気がします。

願わくば、その空間に足を運ぶことで、自分自身の中にある“未来の輪郭”が、少しでもハッキリと描けるようになればいいな…そんなふうにも思います。